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対馬~慶尚南道トンネル技術情報1

対馬~慶尚南道トンネル
竹石 峰也
(一財)国際ハイウェイ財団 日韓トンネル技術委員会技術委員
日本基礎技術(株)首都圏支店工事部副部長

 

1.はじめに

2007年の初めごろ,以前三菱重工の化学プラント部門におられ,現在福井県越前市で塾を経営しておられる宇都宮順長(よりなが)先生が,私の自宅付近の東京メトロ西葛西駅にふっと訪ねて来られた。

彼は,私がフジタ工業(現フジタ,総合建設業いわゆるゼネコン,ご記憶の方もおられると思うが当時サッカーチームが天皇杯2度優勝,湘南ベルマーレの前身)で現場監督をしていた1977年ころからの親友で,その後竹石設計事務所で世界最大クレーン船「海翔」(4,100t吊)を設計していたころ,手伝って下さったこともあった。

 

その彼が突然訪ねて来て,国際ハイウェイ建設事業団(国際ハイウェイ財団の前身)梶栗玄太郎理事長(元前田建設工業)が,ブラジルのナビレキでジャガーと遭遇し平然とすれちがって通り過ぎたという豪胆な手記を私に手渡し,梶栗先生が日韓トンネル名護屋斜坑の続きをいよいよ掘り始めたと教えてくれた。

彼はそれだけを私に伝えて,全国の塾の経営者が集まる勉強会に行く途中だったそうで,風のように去って行ったが,私の胸中には「で、お前はどうするのだ?」と言う声が鳴り続き,穏やかではなかった。

 

その日を境に,30年前になるが1983年に三井建設(現三井住友建設)の協力で作成した,日韓トンネル名護屋調査斜坑1200mの施工計画書の控えを探し始めた。それがなんと現在私の勤める日本基礎技術の社長(当時は技術本部副本部長)が持っていた。厚さ50㎜もある古い手書きの黄ばんだ資料である。それも身近な棚に並べて保管してあった。何故かは,謎である。

 

ただ,日韓トンネルの海洋調査に最初に参加しその後も指導して下さった川崎地質の小田営業部長と安間先生は,彼の東海大学の先輩と言う,彼本人は全く知らない私のみ知る縁はあった。天祐であろう。

その計画書をかつて国際ハイウェイ建設事業団唐津事務所があった住所宛てに送ったところ,戻って来た。
2010年に日韓トンネルのシンポジウムが海運会館であると聞き,その時から足を運ぶようになり,2回目に新宿での講演会に参加し帰ろうとしたところ,後ろから「竹石さんではないですか?」と呼び止められた。

 

なんと24年ぶりにお会いする国際ハイウェイ財団大江益夫事務局長(現 理事長)だった。

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