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壱岐の立ち木の伐採が終了-現場だより2月号

◆立ち木の伐採を終え、精密測量を待つ壱岐の今
トンネル用地を早い時期に準備できた壱岐でしたが、工事の順番としては後半に計画されていたので、これまで唐津と対馬の進展状況を見守ってきました。昨年夏、対馬で坑口を設置したことから、ようやく壱岐に順番が回ってきました。荒れ気味であった用地の立ち木の伐採が終わり、今年、坑口設置に向けた精密測量が行なわれる予定です。詳細は昨年の「現場だより」11月号12月号をご覧ください。

 

次の写真は、島の南部にある壱岐最高峰の岳ノ辻(たけのつじ、213m)からの景色です。瓢箪のような島が「松島」で、トンネル本坑はその下を通る予定です。その左の島は「加唐島」で、武寧王誕生の島です。
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【写真】壱岐・岳ノ辻から見た唐津 中央に並んだ松島・加唐島の先に唐津名護屋斜坑がある

 

トンネルは壱岐南東部から東海岸に沿って進み、島の北部から西に進んで50キロメートル先の対馬を目指します。残念ながら壱岐島は大きくないので、トンネルが地上に出てくることができません。高い山がないお盆のような島は、かつて稲作収量長崎県一だったほど農地に恵まれている一方、鎌倉時代にモンゴル軍が攻めてきた時には、島民は逃げ場がなく全滅させられた悲劇もある。

 

北に向きを変えると、50キロメートル先に対馬を望むことができます。それが次の写真です。南北17㎞の壱岐島に比べると80㎞の対馬がうっすらとではあるが、水平線の向こうに帯状に横たわっています。

 

壱岐から九州に続く海は、荒れる対馬海峡に比べれば内海のように穏やかに感じられ、小さな舟で渡った古代人は「もうすぐそこ!」とホッとしただろうと思われます。逆に、対馬へ渡るときは風と波が穏やかになるのを待ち、安全航海を祈願した様子を垣間見ることができます。

 

 

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【写真】壱岐・岳ノ辻から見た対馬 水平線に沿って帯状に薄く島影が見える

 

壱岐と対馬は、日本を半島と大陸につなぐ主要行路でした。三世紀の『魏志倭人伝』には「一支國」(壱岐国)の記述があります。島の南東部にある弥生の環濠遺跡「原の辻(はるのつじ)遺跡」は、遺跡の国宝にあたる国の特別史跡に指定され、一支国の王都とわかっています。

 

遺跡を一望する小高い丘には、建築家・黒川紀章氏の遺作で、2010年3月にオープンした「一支國博物館」があります。また、2013年12月にはカラカミ遺跡で鉄製生産用の地上炉跡が発掘され、我が国で最初の製錬炉として刀剣や鋤、鍬が作られていて、弥生時代には高度な技術があったことが分かってきています。

 

また、壱岐島の真ん中には、月読命(つくよみのみこと)を祀る日本最古の神社といわれる「月読神社」があり、これが京都の松尾大社に分身されて全国に神社が広がって行ったとされています。月読命は夜をつかさどる神として月にたとえられ、昼をつかさどる天照大御神(あまてらすおほみかみ)、須佐之男命(すさのをのみこと)とともに「古事記」を理解するのに重要な島が壱岐なのです。

 

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【写真】弥生の環濠遺跡「原の辻遺跡」と小高い丘に立つ「一支國博物館」(左上奥)

 

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