九州現場だよりScene News

日韓トンネル推進青森県民会議が斜坑現場を視察―現場だより11月号

日韓トンネル推進青森県民会議が唐津・対馬の斜坑現場を視察

青森県民会議5名が、10月14日から16日、唐津斜坑現場と対馬の阿連斜坑現場を視察した。青森は対馬から遠方とはいえ、対馬に熱い想いを持つ方が二人含まれていた。のっぴきならぬ急用で今回は来られなかったが、「代わりに見て来てくれ」という言葉を抱きつつ、5名はやって来られた。現場を自分の足で踏み、現場の空気を自分の鼻で吸い、心の底からトンネル建設の意味を感じ取っていった。今回、青森に日韓トンネル建設に向けた熱い運動があることが分かりました。

 

青森と対馬の繋がりは深い。鎌倉時代に二度の蒙古襲来があった。蒙古軍は九州の博多沖に来たときに神風が吹いて多数の軍船が沈没し、日本に攻め入ることなく半島に引き上げて行ったと学ぶ。蒙古軍は博多に着く前に対馬と壱岐にも攻め入っていた。対馬では、時の領主が80騎で迎え撃つも全滅し、山に逃げた島人はなんとか生き残った。一方壱岐では、逃げる山がなくて島人は皆殺しという悲劇にあっている。

 

蒙古が対馬に攻め入った時、東海岸では舟を持っていた島人はあわてて海に逃げ出したが、そのまま対馬海流に流され東北まで漂流した。着いたところが、今の青森県の西海岸。地元の民に温かくされて津軽に住みつくこととなった。その子孫からある有名な文学者が生れている。太宰治である。

太宰の本名は「津島修治」。かつての故郷の名を表し、漢字表記こそ変えたが、対馬の人である。太宰の娘も作家となったが、敢えてそのことを隠してきた。親の七光りと呼ばれたくなかったからだ。その娘も昨年鬼籍に入ったと新聞が報じて、改めて世人が知るところとなった。青森にある「津島」姓はここに始まる。感動的な「走れメロス」を著す一方、入水自殺という悲劇に太宰の心の奥の悲しみに思いを寄せざるをえない。

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【写真】唐津・名護屋斜坑先端 大久保所長の解説にプロジェクトの大きさを新たにする

 

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【写真】対馬・阿連斜坑口 「千里の道も一歩から」と地元青森での運動拡大を決意

 

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【写真】対馬・阿連西海岸 ここから韓国に向かってトンネルは伸びる 木村睦夫・県民会議副会長(中央)

 

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