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日韓トンネルの起工式から29年-現場だより1月号

◆日韓トンネルの起工式から29年 唐津・名護屋斜坑現場の今
唐津・名護屋斜坑現場の新年は、大陸からの寒波の南下により風が強く、初日の出は雲の中でした。

 

1986年10月の起工式から今年は29年目を迎えます。佐々保雄・初代会長はじめ当時の関係者も幾人かは亡くなられ、当時若者であった者も初老の年を迎えています。それでもこの日韓トンネルプロジェクトは世界の平和実現の具体策として、着実に受け継がれて今に至っています。全長230㎞のトンネル計画から見ればまだ初期段階ですが、昨年は対馬に坑口を設置することができ、壱岐では工事着工に向けて測量をする段階までこぎつけました。

 

日本の首相と韓国の大統領が対馬西海峡の国境線上で握手をして、日韓トンネルが“国家プロジェクト”へ格上げされることを願いつつ、現場の今を報告します。29年前の起工式から調査斜坑の掘削工事が3期にわたって行なわれ、直径6mの斜坑が540mまで掘り進んでいます。4m進むと1m下がる“4分の1勾配”で進むトンネルは、入口から300m地点で海抜0mとなり、海面より低い地底世界に伸びていきます。工事の重点が対馬に移っているので、唐津での工事の計画はありませんが、日韓トンネル構想の全貌を見て実感していただけます。

 

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【写真】唐津・名護屋斜坑 坑口周辺

 

斜坑の上には、西に向かって作られた展望台があります。360度の眺望で、正面には400年前に豊臣秀吉が“朝鮮出兵”の出撃基地とした名護屋城の城跡が見え、その先に呼子4島が並びます。最も手前に「加部島」、その先に三つ並んで「小川島」「加唐島」「松島」があります。右手、東の唐津市内そして博多から来る本坑は、これらの島を経由して、28㎞先の壱岐南東部に向って西進します。玄界灘を越えて見える壱岐の島が大きく感じられ、この距離感の近さをぜひ実感してください。

 

“朝鮮出兵”は日韓歴史上悲しい事件ですが、1400年前の聖徳太子前後の時代、さらにさかのぼって弥生時代から日本は韓国、半島や大陸と友好的に、深くかかわってきています。加唐島は『日本書紀』で、百済王の弟が使者として日本に渡ってきたことや、同伴してきた女性が唐津に上陸する寸前に産気づいて、急いでこの島に船を着けて男の子を産んだことが記されています。この男の子は、長じて百済第25代の王「武寧王」となり、民衆に慕われて「シマ王」と愛称されたといいます。

 

韓国・公州にはその王の陵墓が見事に残っています。
歴史的には「近くて近い国」の関係であった日本と韓国朝鮮。昨年の韓国からの視察者は400名近くになり、記念の植樹をされる方々もいます。松や桜のほかモクレン、イチョウそしてムクゲの木が、トンネル敷地に並んできました。斜坑の見学者数は年々増え、昨年2014年の一年間の視察者は1,500名を超え、起工式のころに迫ってきています。呼子の“イカの活き造り”は美味しいと視察者が嬉しそうに言われるのを聞くと、多少は地元に貢献しているのではと自負しています。

 

世界平和の実現にどのような形で貢献しますか?“日常”の先にある“非日常”、国境線上で自問自答することで何かを感じ取れるかもしれません。

 

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【写真】展望台から見る28㎞先の壱岐 中央右手は松島

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